ミャンマー調査報告  第3回 選挙に燃えるミャンマー

4月1日。ミャンマーで議会(日本でいう国会)の補欠選挙が行われました。
もともと一昨年の秋に、同国ではおよそ20年ぶりになる総選挙が行われたのですが、その時に選挙への参加を認められなかった政党「国民民主連盟(NLD)」が今回の補欠選挙で参加するということで、日本でも大きく注目されました。
その政党NLD。もともと総選挙が20年間も行われなかった理由ともなった1989年の総選挙で、ミャンマー民主化を掲げて大勝し、これに反発した軍部が軍事政権をつくって総選挙を行わないようになったのです。
なかでもそのNLDのリーダーであるアウンサン・スーチーさんは、ミャンマー建国の父ともいわれる故アウンサン将軍を父に持ち、イギリスなどに留学してカナダ人の男性と結婚し、1989年の総選挙以来、ずっとミャンマー民主化を訴えてきた方です。
89年総選挙が停止されて以降、これまで20年以上の間、そのほとんどの期間を自宅で軟禁状態に置かれてきました。
したがって、今回の補欠選挙で、このアウンサン・スーチーさんとそのほかのNLDの候補者が選挙に参加するということは、ミャンマーの歴史の中でひじょうに画期的なことでした。




アウンサン・スーチーさんTシャツ


私たちがミャンマーを訪れたのは3月。4月1日の投票日まで3週間あまりに迫っていたときでした。
とにかく驚いたのは、スーチーさんの高い人気と、それを臆することなく宣伝するミャンマー人の支持者の人々の多さです。
たぶん、ほんの数ヶ月前までは、スーチーさんへの支持をこれほど熱狂的に宣伝することは、ミャンマーの人々にとっては「危険」な行為だったはずです。
というのも、スーチーさんとNLDの政治活動は大きく制限されていましたし、それ以前は、スーチーさん自身が表に出られないような状態だったからです。
彼女やNLDを支持することは、軍事政権に反対することを意味し、逮捕・監禁そして刑罰の対象になったはずです。
そして実際、そうした時期がこれまで20年以上も続いてきたのです。



アウンサン・スーチーさんの政党国民民主連盟(NLD)本部前
スーチーさんグッズがお土産に売られている


この長い年月の間、ミャンマーに人々は、ずっと軍事政権の下で、スーチーさんとNLDの求める「民主化」を応援し続けてきたのでしょう。
今回の補欠選挙。スーチーさんとNLDを応援し、各地でそのグッズを販売し、そしてミャンマー全土で、NLDへの投票をアピールする人々が驚くほどたくさんいたようです。
私達も地方の農村で、スーチーさんとNLDをボランティアで支援する人々を見ましたし、また農村の一般家庭で、スーチーさんとその父アウンサン将軍の肖像を掲げているところをたくさん見ました。




農村の民家の中にも、アウンサン将軍とスーチーさんの写真


4月1日投票の結果、全国45の選挙区で行われた補欠選挙のうち43の選挙区でNLDの候補が勝ちました。
もちろん、ヤンゴンの南にある選挙区でアウンサン・スーチーさんも当選を決めました。
その後、憲法への宣誓を巡る問題などありましたが、今のところは少しずつミャンマー民主化は進んでいるように思います。