ボスニア、クロアチア、トルコ調査〜その1 サラエボ編

和洋女子大学心理・社会学類国際社会システム専修(来年度から国際学類国際社会専修)の杉浦准教授は、9月上旬ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下ボスニア)、クロアチア、トルコへ民主化・平和構築の海外調査に行きました。数回に分けて、その際に見て回った街の様子などをお届けします。


まずは、空路ボスニアの首都サラエボへ行きました。
ボスニアは、1990年代前半激しい民族紛争が繰り広げられた地域です。下の写真は、サラエボの遠景です(↓)。



サラエボでは、1984年に冬のオリンピックが開催されました。
下はその記念碑で、聖火が今でも燃えています。



次は、その旧市街地の広場です。ボスニアは、イスラム教徒、クロアチア人、セルビア人が混住する国で、街の雰囲気にもイスラム文化が色濃く反映されています(↓)。



下の「ラテン橋」は1914年にオーストリア皇太子が暗殺されて第一次世界大戦の引き金になった現場の付近にあります。この付近も紛争の際には激しい戦いが繰り広げられて橋も損傷しましたが、現在では修復されています(↓)。



サラエボ(当時はユーゴスラビアという国の一部)はオリンピックが開催されるほど平和な街でしたが、冷戦の終結で民族間の不満が高まり、それを煽る政治家によってユーゴスラビアは分裂、紛争に突入し、サラエボも戦場となりました。サラエボは1年にわたりセルビア武装勢力に包囲され、市民は苦しい生活を強いられました。


下はその際に包囲下にあるサラエボ市街へ物資の輸送を行ったトンネルです。現在は、トンネルの一部が残されて博物館になっています。建物には今での銃痕が残っています。サラエボ市内では、博物館でなくても、随所に銃痕が残されています。




サラエボを含むボスニアは、失業率も高く、平和ではあるものの経済状況は苦しい状態が続いています。下の写真はサラエボから3時間のモスタルという街にある世界遺産の橋です(↓)。やはり内戦で破壊されましたが、国際協力で再建され、現在では多くの観光客がやってくるようになっており、経済への貢献が期待されています。



(続く)